ピカが逝って10日余りが過ぎた。
私は未だにリビングに置いたベッドで寝ている。もう真ん中で寝ていいのに、気づくと右側を空けて左端ギリギリに寄って寝ている。この2ヶ月、ずっとそうしてきた。右側で寝るピカのために。
ピカは、5月に腸にできた血管肉腫の切除手術をした。大きな腫瘍だったけれど、腸の一部も切り取って全て取り除けた。
「成功確率は五分五分もない。が、手術しないなら今月(5月)いっぱいもたないだろう」
と言われ、一か八かの賭けの手術だった。
ブジに乗り越え、みごとに復活。元気になった。ただ、病理検査の結果、腫瘍が周囲の組織に強く浸潤しており、転移・再発の可能性が高かった。しかも、手術後、てんかん様発作を起こすようになった。
副作用が出ないように、抗がん剤の低容量療法をしながら、それでも、ふだんは以前通り元気に過ごしていたけれど、9月、突然、体調を崩した。
腎臓と肝臓に、以前よりは小さな腫瘍ができていた。そして、全身にも転移が見られ、もはや打つ手はない。
「余命はおそらく数日」と言われ、覚悟を決めた。
その日から、リビングに折りたたみの簡易ベッドを設置。絶対にはずせない用事(親知らずの抜歯とか)以外、全て予定はキャンセルし、必要最低限の買い出し以外は外出をせず、ほぼ24時間、ピカの側に寄り添った。2時間以上家を空けなければならないときは、ダンナが休みを取って看ていてくれた。
苦しませるだけの延命はしない。ただ、残された日々をできる限り穏やかに過ごさせてあげたい。
万が一、肺に転移していたときのことも考えて、医療用酸素もレンタルした。
毎日、「今日が一緒に過ごせる最後の日かも」と思いながら、ただピカのことだけを考えて過ごした。
調子の良い時と悪い時が数時間単位で変わる。てんかん様発作もまた1度起こした。何度も、「今度こそダメかも」と思ったけれど、その度に持ち直し、10月の誕生日を迎えて17歳になり、気づいたら「数日」をはるかに越えて2ヶ月近く経っていた。
でも、さすがにそこが限界だった。
苦しませたくなかったけれど、最後はやっぱり苦しんでしまった。
酸素マスクのお陰で一時は落ち着いたけれど……。
11月10日深夜、日付が変わった11日の1時過ぎ。ピカは、ずっと一緒に寝てきたベッドの上で、私の腕の中で虹の橋を渡っていった。
ピカが大好きだった千弥介が迎えに来たかな……。
千弥介は、昨年の9月25日に、18歳で虹の橋を渡った。
私にとって千弥介は特別な存在で、唯一、結婚前から一緒に暮らしていた子。私は、千弥介の死を受け入れることができなくて、身内にも何ヶ月も知らせることができなかった。ネットにも今、初めて書く。
ピカが逝ってしまわなければ、ずっと書くことはできなかったかもしれない。
それでも、今でも受け入れきれていないような気がする。
ピカは大切なうちの子だったけれど、千弥介が逝ってしまった後は、同志でもあった。
千弥介がいない寂しさを分かち合える、唯一の仲間。
いつの間にか、私がソファに座るとぴったりと横にくっつくようになっていた。
家庭内野良で、撫でることはおろか半径1m以内に近づくこともできず、引越しで連れて来ようとした私の親指を本気噛みして全治1年にさせた子だったのにね。
最後の2ヶ月、ピカは体調が悪くて辛かったと思うけれど、私にとっては至福の時間だった。
10数年の家庭内野良を返上して余りあるほど密度の濃い、愛情と信頼を築けたかけがえのない宝物の時間だったと思う。
今はまだ苦しいけれど、きっと何年かしたら懐かしい幸せな記憶になるんだろうな。
そう、なってほしいとも思う。
望んだ「20歳以上生きて老衰で」ではなかったけれど、ピカは17歳、千弥介は18歳という天寿を全うしたのだから。
しかし、11猫いた我が家の子たちも、とうとうシンちゃん1猫になってしまったなあ。
預かりっ子たちがいるから実際は5猫いるんだけどね。
シンちゃんと預かりっ子たちとは生活が別だから、シンは一人っ子になってしまった。あまり他猫に執着がない子なのに、さすがに寂しいらしくて私の後追いが激しい。まだ当分、リビングで寝るのはやめられそうにないかも……。